【楽しいお仕事シリーズ】ニセコで客室を清掃していたあの日。

天理市に行ったことがある。東大寺のある奈良市から南に20kmに位置する宗教都市だ。駅の目の前には公園があり、家族連れや老人が休日を楽しんでいる。どこでも見られる光景だ。

インターネットで見る限りは、物怖じするほどのものでもないと思っていた。印象は独り歩きするものだからだ。結局数時間滞在したのだが、予想は大筋では外れていなかった。

天理市の日常
ムンクさん
陽気ホール!陽気ホール!

ただ、礼拝場の中ではさすがに面を食らった。参拝者が今までに見たことのない方法で参拝をしていたからだ。

参拝者はサッカーグラウンドほどもある礼拝場の座敷の上に正座をし、4拍、手を叩く。その後、胸の前で手をひらひらと動かしながら、謎の歌を吟じるという形だ。

驚いたのは、単純に信心深いということだ。僕らはお寺に行くことはあっても、教典を唱えられない人がほとんどだ。お坊さんが唱えるお経を何となく聞き、仏壇に向かって形だけ手を合わせる。罰当たりな行為でなければOKだろうという距離感がある。

だが、ここ天理教ではおそらく近所の方なのだろう、家族連れ、老夫婦、カップルが建物の中心の空間に向かって歌う。幅広い年齢層の人たちが秩序立って動き、歌う姿は異世界のようだ。正直やや不気味であり、自分が場違いな存在に思えたのは確かである。

そもそも普通とは何だろう。普通とは、自分が慣れ親しむ周囲の世界のことであり、それ以外は異常である。見たこともない宗教は異常であり、関わってはいけない存在なのである。

しかし、世の中は異常だらけだ。道産子である自分は木造建築物が生活に溶け込む金沢、京都、奈良の町に妙な感心を抱いてしまうし、ここは本当に日本なのだろうかと疑ってしまう。道産子にとって世界最古の木造建築物である法隆寺は教科書の中の日本である一方で、断熱材の入ったおうちで見る「どさんこワイド」こそが日本なのである。

ニセコで打ち砕かれた幻想。

3年ほど前に北海道のニセコでリゾートバイトをしたことがある。冬のニセコは北海道とは国内とは思えないほど外国人が多く、1割が日本人、9割が外国人だと言われる。当時は英語を学びたかったので、派遣会社から申し込んでコンドミニアムの清掃の仕事に就いた。

現地に行ってみると確かに噂通りで、パーティーな欧米ピーポー達(白人はみんな欧米)がバケーションを楽しむ世界だった。ヒラフの近くのローソンでは、スノーボードを担いだ彼らが乱雑に並んで大声で喋る。ヒラフ坂ではポンキッキーズのPちゃんのような着ぐるみが地声でピザ屋の宣伝をかます。近くの飯屋のメニューが全て英語などといったありさまだ。

ニセコの風景

着いた当初こそ異次元の世界に興奮したものの、次第に幻滅に変わった。自分がカスのように思えてきたからだ。正直な話、ネイティブの英語は何を言っているか全くわからない。おまけにパーティーなピーポーと来ている。会話に加わったところでアウアウしてトラウマになる未来が見えた。だから、本来の目的とは裏腹に、外国人との接触を拒むようになった。本末転倒な話である。

それでも仕事ができたのは、英語を使う必要が全くなかったからだ。

実は、コンドミニアムの清掃を担当するのは地元の人たちなのである。主に主婦で構成された彼女らは学校に子供を預け、朝から夕方まで部屋の掃除に勤しむのである。当時、Indeedで見た時給は1,000-1,200円。もちろん日本人がほとんどであるからコミュニケーションで困ることはない。また、客との会話もほぼ必要ないため仕事に支障はない訳だ。

一緒に清掃に出かける面々はとても個性的だ。まるで息子に話しかけるように可愛がってくれたおばさん、貯めたお金で何度も海外旅行に行くギャル風のお姉さん、たばこが好きなリーダー格のおばさん、仕事の方法を嫌味ったらしく指摘するおばさんなど様々である。各々、強烈なキャラクターを持っているのだが、仕事は完璧な調和を持っていた。全く無駄がないのだ。

ご存知だろうか「清掃」という過酷な仕事を。

客室の清掃は4人ごとのチームで実施される。部屋のベッドメイキング、拭き掃除、風呂掃除、キッチン周りの掃除などを4人で分担し、一心不乱に作業をする。

清掃の仕事内容

自分に与えられたのはシャワールームの掃除で、排水溝の洗浄、蛇口周りの垢磨き、壁全体の洗浄、拭き掃除が終わってひとつのタスクが完了になる。恐ろしいのは、水滴をひとつ残らず拭いた上で20分以内に完了させなければならないということだ。一軒家の浴室と同じ程度のシャワールームの床から壁まで全て磨いた上で拭くわけだから、サボる暇はない。

もしも壁についた水滴を数え始めたなら、仕事に慣れた証拠だ。一連の作業は自動化され、意識は遠のいていく。なぜ俺はこんなところにいるんだろう、今後どうなるんだろう、友達は元気だろうか。色んな考え、過去の思い出が蘇り、目の前から消えていく。

あのような過酷な毎日がどこかで繰り返されていることに驚きを禁じ得ない。2ヶ月後に勤めた某SIerでは、研修を1ヶ月受けただけで30数万円。ニセコの清掃では1日中過酷に働き、せいぜい16万円ほどだ。つまり、あなたの給与は仕事の過酷さでは決まらない。仕事の内容ではなく、ポジション・業界・参入障壁が鍵である。

安い分だけ楽ができるとは限らない。

当時、リゾートバイトに行ったのは、自由を求めていたからだ。都内で少しずつ登っていたはずのキャリアは行き詰まり、全てがどうでも良くなっていた。リソース以上の業務を求められ、理不尽を経験し、なぜか毎月赤字になっていく。頑張っているはずなのに、なぜか報われない。スタートアップ・ベンチャーなんてクソ、夢はもう見ない。自分の人生に復讐するため、ただ自由にアルバイトをして生きようという訳だ。

ところがどうだろう。現地で見たのは、ギリギリのリソースで生きる人たちだ。完全にマニュアル化された清掃業務、顔見知り同士で劣等感を感じないための競争、女社会特有の閉鎖感(まぁもちろん冗談は言うし、お互い協力する部分は多々ある)。そこに身を投じてみれば、自分に発言権はなく、自分がただのカスであることがよくわかる。

給与と労働負荷の関係性

経済的に豊かになれば自由になるとは限らない。しかし、貧しければそもそも自由にはなれない。当時、港湾作業員で哲学者のエリック・ホッファーに影響された自由への幻想は、間違いだったと気が付いた。この失敗は高く付いたが、経験しなければ考え・行動は変わらないものだ。各地の”普通”に飛び込むことで、自分がいかに恵まれているか、恵まれていないかを理解できる。

立ち位置を探るには比較がなければ始まらないのだ。

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元公務員。「ゆるく生きたい…!」「夢がありそう…!」と希望を持って地方から上京したものの、東京の荒波に晒され地獄感を味わう。過労とストレスで体を壊すぐらいなら冷蔵庫を壊そう。