【空間を広げたい】不自由だったクアラルンプール短期旅行

パタヤを選んだのは大間違いだったのかもしれない。夕方、配線が剥き出しのデコボコの歩道を歩きながらそう思った。

歩行者用信号が青になっても止まらない車、タイ語で誘ってくるマッサージ屋の姉ちゃん、パンパンと手を叩き注意を惹こうとするバイクタクシーの無表情のおっさん、食堂に流れる爆音のBGM、肌にべったりくっつくような湿度の高い天候、全てが煩わしい。

誰にも邪魔されずに過ごすことのできるホテルが唯一、心を休められる場所なのだった。

空間が広がっていく

自由である、という感覚が空間認識から来るものだとひらめいたのは、バスに乗っていた時だ。1週間ほど過ごした鬱屈な九州の街から空港に向かうシャトルバスに乗車した途端、開放感を感じたのである。自分は座席から動くことができないが、狭い街から逃れられる安堵が胸いっぱいに広がっていく。

地図上では広く見えても、実際にアクセスできる場所が限られる。それを強く感じたのは、マレーシアのクアラルンプールで1ヶ月半ほど滞在を続けた時のことだ。

吸引力の強い、Bukit Bintang

Shaninaと呼ばれるニンニク入りの塩味ヨーグルトドリンクをちびちび飲む。そして、羊と牛肉を混合させた肉厚ケバブと甘みの強い焼き野菜をラップで包み、口いっぱいに放り込む。顔の濃い屈強な男性、ヒジャブを被った女性達に囲まれながら食べる料理は異国情緒そのものである。

ここは「Tarma Iraqi Street Food」。クアラルンプール中心部、Bukit Bintangに位置するイラク料理専門店だ。

Bukit Bintangといえば、有名な屋台通りの「Jln Alor」や巨大ショッピングモールの「The Loaf Pavilion」を擁するクアラルンプールの一大観光地である。観光客が最初に訪れる通りがここだと言っても差し支えがない。それだけ賑わいのある通りである。そして一方で、1ヶ月間滞在する旅行者が訪れるのもまたBukit Bintangである。他に行くところがないからだ。

郊外に出ようと画策したことがある。MRTと呼ばれる地下鉄に乗って、行ったことのない街を目指すのだ。あまりにも長い乗車時間、段々みすぼらしくなっていく風景、そして灼熱の炎天下。気が付けば、駅を降りて近くのイオンモールのような場所で涼んでいた。

マレーシアに来て一体何をしているのだろう。数度に渡る探索は失敗し、行動範囲は狭くなった。それはまるでダイソンの掃除機、もしくは熟練のデリヘル嬢のように、見事な吸引力で僕をBukit Bintangに吸い込んで行くのだった。

このように、Bukit Bintangとホテルを往復する毎日が完成されていく。

地図で見る、Bukit Bintangの威力

さて、ここで一枚の画像をご覧いただこう。これはクアラルンプール中心部にいる時の自分の心境の変化をエリアごとに示したものだ。

青は気持ちが落ち込むエリア、赤は気持ちが盛り上がるエリアを示している。自分が宿泊していた安宿のほとんどはインド系が数多く生活しており、治安と清潔さの観点で厳しいものがあった青エリアである。

一方、Bukit Bintangは赤エリアに位置している。このことからも、ホテルとBukit Bintangを往復する毎日が繰り返されることが想像できるのではないかと思う。

もう一枚、地図をご覧いただこう。これは、クアラルンプール全体を表示したものだ。赤・青エリア双方がいかに狭いかを物語っている。

マレーシアで学んだのは、適切で豊富な交通手段、涼しい天候、予算の範囲に収まる素敵な宿がなければ行動範囲が狭まるということだ。アクセスする範囲が狭くなればなるほど、選択肢は限られていく。そして、同時に心も蝕まれていくのだ。

さようなら、一人旅

自分は今後も探索をやめるつもりはない。未知の世界にこそ、美味しい果実が存在するからだ。しかし一方で、快適に、自由を感じさせる観点は何か把握しつつある。

今のところ、マレーシアをはじめとする東南アジア諸国に安住の地はなさそうである。ここパタヤでも、ホテルに引きこもる外こもり生活が完成しつつある。観点は手に入れた。3年に及ぶ住所不定の一人旅も終わりに近づいているのかもしれない。

この記事をシェアしてみよう!



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

ABOUTこの記事をかいた人

アバター

元公務員。「ゆるく生きたい…!」「夢がありそう…!」と希望を持って地方から上京したものの、東京の荒波に晒され地獄感を味わう。過労とストレスで体を壊すぐらいなら冷蔵庫を壊そう。