2043年、人工子宮

長年の友人である美咲が61歳の誕生日を迎えた。彼女は人工子宮で子供を作るつもりだと言った。8年前に初めて中国で実用化・制度化された人工子宮により、母親のお腹の中で育てることなく子供を産むことが可能になった。当初、倫理的な観点から国内では懸念の声が多かった。人身売買に繋がるのではないか、科学が踏み込んではいけない領域に達しているのではないか、という声だ。子供の”外注化”は、自然なものに対する挑戦に思えた。

一方、賛成の声も少なくはなかった。まずは、妊娠を回避することで、母体の安全が守られる。以前、妊産婦は年間で数十人亡くなっていた。妊産婦の数と比較すれば死亡率は限りなく0に近いが、やはり誰かが亡くなるのであった。そもそも、妊娠、出産、そして育児という過程は非常に負担の大きいものだ。妊娠中のつわり、出産時の痛み、帝王切開などの負担を負うことなく、楽に産みたいという気持ちを抱える女性は多かった。また、性別、年齢に関係なく子供を持てることは多くの人にとって希望になった。特に高齢化している、もしくは不妊治療中である、同性愛者である夫婦・カップルにとっては希望の塊だ。身体の不自由さから解放され、誰でも子供を持てる時代になるのだから。意外にも、シングルの女性・男性は人工子宮を支持する声が多かった。身体が元気なうちは自分のために時間を使う。加齢で衰えてきたら子育てを考える。人工子宮の登場で結婚適齢期の概念が薄まり、結婚の意義・存在感はさらに形骸化する。各家庭の親の年齢は、必然的に高齢化した。世間に後押しされる形で政府も対策に乗り出した。アメリカなど各国の法制度を踏まえながら、人工子宮で子供を産むために民法・刑法の改正、「体外妊娠法」の制定に踏み切った。根本的な少子化対策を打ち出せない政府にとって、人工子宮は値千金だった。こうして、人類の異端児である人工子宮は、静かに人々の意識に刻み込まれていった。

美咲は「チャイルズ」で理想的な精子を探している最中だという。イスラエル発のスタートアップ「Nexir」が提供するチャイルズは、人間の精子と卵をマッチングするアプリケーションだ。チャイルズに精子もしくは卵を登録することで、潜在的な性能を計測し300の変数で構成された数値が確認可能だ。もしも気に入った配偶者の精子もしくは卵があれば、購入し、受精卵の生育を依頼することができる。これが最初のステップ。次にチャイルズは、受精後の胚から将来の顔、運動神経、知能、寿命を人工知能を使って予測する。受精後の2ヶ月の中で、ユーザーは育てるかどうかを判断しなければならない。覚悟が持てれば、行政に出生予定届を提出し、産まれる日を待つことになる。また、勇気が持てなければ、受精卵は自動的に廃棄される。受精卵を廃棄しても良いかどうかは意見の分かれるところだが、チャイルズは従来よりも倫理的であるかもしれない。現在の法律によれば、母体保護法で妊娠から22週目まで中絶が認められているが、チャイルズは2ヶ月まで。つまり、妊婦が中絶できる期間よりも早い決断を求めているのだ。

チャイルズが大幅に利益を上げているのは、その特徴的なビジネスモデルにある。ユーザーが購入した場合、精子・卵の提供者に一定の金額が支払われる。その額は、需要と供給により常に変動している。たとえば、一般的なユーザーの精子が3,000〜5,000円、卵が5〜20万円が相場の一方で、有名企業のCEO、著名なモデル、スポーツ選手には、家が一軒買えるほどのプレミア価格が付くこともある。精子や卵の提供はもはや商業化したのだ。チャイルズは、会員登録時の月額費とマッチングが成立した場合のマージン15%を売上に計上し急成長している。

美咲はすでに冷凍保存していた卵子をいくつか受精させてみたという。精子が比較的安いからこそ試せる技だ。複数個の受精卵を比較し、一番シミュレーション結果の良いものを選ぶという。同時並行での比較検討は、誰でもやっていることだと美咲は言う。「受精後のシミュレーション結果を見てみたんだけど、イマイチ自分の納得できる数値が出てこなくて。本当は言い訳してるだけかもしれないんだけど。1年以内には欲しいけどね」

※2044年3月追記:この日記から1年後、法律が大きく改正された。まず、トライアルで受精卵を作る行為が禁止された。恣意的な受精卵の選択が優生学の思想に則るものだと判断されたからだ。つまり、受精卵を作成した時点で、親としての責務を果たす必要がある。チャイルズを含む、体外妊娠マッチングアプリ業界には打撃になるだろう。受精卵の作成、廃棄のサイクルで利益を上げていたことを考えれば減収は避けられない。次に、人工子宮で産んだあとに育児放棄等で子供を死なせてしまった場合の罰則が強化された。一連の人工子宮ブームで無責任に子供を作る親が増え、孤児の増加が顕著に社会問題化していたからだ。一方、一部の報道では人身売買の懸念も報告されている。現在の法律では、18歳以上の成人は2人まで体外妊娠による子供が認められているが、組織的な犯罪組織が第三者の名義を借りて子供を売り飛ばすケースがあるそうだ。今後の政府の対応が注目される。

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元公務員。「ゆるく生きたい…!」「夢がありそう…!」と希望を持って地方から上京したものの、東京の荒波に晒され地獄感を味わう。過労とストレスで体を壊すぐらいなら冷蔵庫を壊そう。