アイデンティティの崩壊、横たわる闇と希望

`アイデンティティの崩壊の危機だ。

ふと、今後どうしようかなと考える。「少なくとも20代のうちにバックパッカーでもやろうかな」とか「ワーホリでも行こうかな」とか「テントと寝袋を持って日本一周でも敢行しようかな」とか。夢想するのは国内や海外への旅ばかり。良くいえば、ローテーションと化した今の生活に対するアンチテーゼ、悪くいえば、現実逃避だ。いずれにせよ、飽和した日常への刺激を期待している。

しかし、いざ一歩足を踏み出せば、修復不可能な闇が待っている気がする。「お前は一体誰なのだ?」という問いに対する答えがぼやけるからだ。思えば、大学卒業後から現在までは、自我の確立に力を注いだ数年間だった。

公務員の辞職に始まる反抗期は、漠然とした不安に対する戦いだった。やったことは、論理学・行動科学の学習、グロービスのクリティカルシンキング(不安を鎮めるために受講した訳じゃないけど、結果的にはかなり効いた)、散歩、Evernoteへのメモ、日記、タスク管理、体調管理、PDCAの実践、英語の会話、スタートアップでの仕事、恋愛…。並べてみると、部門横断的な学びや実践の数々である。

「何がやりたいの?」と言われるのだが、「世の中を知った気になる」ことで不安を鎮めたかったのだと思う。これらは確かに効果があった。漠然とした不安が発作的に突如起こることはなくなった。

しかし、戦いは別のフェーズに移りつつある。

3年半暮らした都内を離れ、リゾートバイトに向かったのは2017年秋のことだ。もはや人生がどうでもよくなり、周囲の人への復讐を込めて向かったリゾートバイト。白浜ではフロント、ニセコでは清掃を担当し、実家に戻ってからは引越業者の受付を1ヶ月ほどやった。そこで見たのは、サービス残業、監視社会、過疎、過重な労働という地方の限界と、適当さ、乱暴さ、親しみのある会話などの人間味の数々。

やや過剰とも思える労働を自ら担い手となり、引き受ける人々。極めて乏しい選択肢の中で忍耐強く耐える姿は、とても逞しく、また滑稽である。

そして結局半年後には都内に再度戻ってきた。「インフラが整い生活が楽だ」「新しい情報が欲しい」「地方で一緒に沈む気なのか」という安易な思いからだ。その場限りでは合理的だが妥協の産物である。

そしてこれがアイデンティティ喪失の理由だ。「俺はなぜここにいるのか?」に対する答えは、「生活が楽だから」以外の何物でもない。過去が断絶しているのだ。リゾートバイトに行く前の怒り、都内を離れていた頃の崖っぷち感・寂しさ・ドラマチックな人間関係、これらが消えてしまった。

奇しくも今はWEBマーケターでもホテルのフロントでも清掃員でもなくプログラマである。キャリアも切れている。「お前は誰だ?」という問いに答える部分の心の穴が大きく空いている。だから、新しい世界に足を踏み入れることを想像するとき、ワクワク感の側には底なしの闇も横たえる。過去から、自分から逃げているような感覚があるのだ。そして闇はいつまでも追いかけてくる。

それでも希望はある。

自分の過去と現在を繋ぐ架け橋は唯一、「RESORN(リゾーン)」という形で残っている。大阪のTSUTAYAでたまたまGASのクローラー作成本を見つけたこと、彼女そっちのけで開発に打ち込んだこと、実家近くのスタバで作戦を練ったこと、茅場町のPRONTOで土日を潰してクローラー開発に勤しんだこと…。

プロダクトとしては大したことはなくても、そこにはストーリーがある。試行錯誤した歴史がそこにはある。過去と現在を繋ぐ生きた証明であり、唯一の希望である。

だから、目をそらしてはいけない。逃げてはいけない。まだやり残したことがあるからだ。RESORN(リゾーン)からも逃げたとき、自分自身も塵となり消えてしまうだろう。

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元公務員。「ゆるく生きたい…!」「夢がありそう…!」と希望を持って地方から上京したものの、東京の荒波に晒され地獄感を味わう。過労とストレスで体を壊すぐらいなら冷蔵庫を壊そう。