もっと勉強するべきだった。

親世代からよく聞かされたのは、「もっと勉強しておけば良かったな」というセリフである。学生の時に勉強しておけば、もっと良いところに行けたのではないかということだ。子どもながらに思ったのは、今を必死に生きているから後悔するのはだせぇということである。だから、もっと勉強しておけば良かっただなんて絶対に振り返らないと決めていた。

ところがどっこい、今は後悔しているのである。もっと勉強しておけば、自分の選択肢はより広がったのではないかと思うわけだ。これは決して、「良い大学に入る」とか「良い就職先を見つける」という局所最適な目的が念頭にある訳ではない。「言語化できない漠然とした不安に対処する」とか「死にたいと思える職場を避ける嗅覚を磨く」とか「自分のやりたいことをやりつつ、疎外感に対処する」など、人生の苦しみに対する処方箋を学習を通じて得たいのだ。

なぜか。人生の苦しみからは逃れられないからだ。三日三晩友人と寝食を共にすれば段々しんどくなってくる。だが、数日会話をしなければ孤独感が襲う。金がない。だが、働くのは嫌だ。夜中にラーメンを食べれば太ってしまう。だが、食べたい。何を選んでも苦しみは側にあるものだ。ただ、極力苦しまない環境に身を置いたり、苦しむ時間を短くしたりすることは可能だ。それは経験と勉強によって獲得できる。

これを最初から知りたかった。良い大学に行くとか良い就職先を見つけるだなんてあまりにも漠然としているではないか。Learn Better ― 頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップによれば、学習のあり方を変える最初のステップは「価値を見いだす」ことにある。学習の価値は、自分の力で発見しなければならない。

学習に関しては、意味のほうで私たちを見つけてくれるわけではない。意味を私たちが自分で発見しなければならない。

おそらく学習の効果を最も実感したのは、3年半前に受講したグロービスのクリティカルシンキングの講義である。当時勤めていた会社で、記事の構成能力を高めるために受講させていただいたのだが、効果は思わぬところに出た。漠然とした不安の軽減である。学生時代から、正体不明の不安に襲われていた。考えてはドツボにはまる負のループである。

これがクリティカルシンキングで軽減された。クリティカルシンキングは課題を解決するためのステップが確立されている。内容は、問いに対し枠組み(フレームワーク)で初期仮説を立て、データを集めて各仮説を取捨選択・進化させ、結論まで導くというものだ。枠組みを使えばMECE的に(抜け漏れなく)考えることができる、仮説を立てれば効率的にデータを集めることができるなどの学びがある。

これらの考え方はとても有用だった。MECE的に考えれば、漠然とした不安は人間関係だけでなく、低気圧や睡眠不足、運動不足に起因する可能性がある。仮説を立ててデータを集めれば、漠然とした不安に対する仮説をYesかNoで判断できる。実は、漠然とした不安を幅広い角度から検証して言語化するプロセスとして活用できたのだ。”クリティカルシンキング”という言葉と効果を知っていれば、より早くから取り組んでいたかもしれない。

今考えれば、学生時代は勉強をする理由がなかった。地元にいたいから英語を学びたいと思わない、数学を使う場面が思い浮かばない、古い言葉だから古典はどうでもいい(今でも古典を学ぶ理由だけはわからない)。だから全部苦手だった。

もしも、と考える。もしも、今の記憶が学生時代にあったなら。その時は、さっさと海外の大学を目指すために周囲の人間を説得するだろう。そして必死に勉強するだろうと。もしも知っていたらと思うと後悔が残る。

問題はおそらく、世の中を知れないところにある。経験する手段もなかったし、情報にアクセスする手段も限られていた。そのツケが来ている。

Learn Better――頭の使い方が変わり、学びが深まる6つのステップ
「学習の方法を学ぶことは、専門家が言うところの「究極のサバイバルツール」、つまり、現代において最も重要な能力の一つであり、あらゆるスキルの前提となるスキルである。」(イントロダクションより)

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元公務員。「ゆるく生きたい…!」「夢がありそう…!」と希望を持って地方から上京したものの、東京の荒波に晒され地獄感を味わう。過労とストレスで体を壊すぐらいなら冷蔵庫を壊そう。