再度東京生活 -緊張感と安心感の絶妙なポイントを探そう-

稼働4週目。緊張感と安堵感が交互に訪れる日々である。地獄を見た3年前のあの会社での日々から何も学ばず、やはりまたスタートアップに来てしまったようだ。

当時より増えたのは体重である。1年弱に及ぶバックパッカー生活の中で、筋肉の量が落ち脂肪が付いてしまった。バックパッカー=歩くというイメージから、運動面では充実しているかのように思われるかもしれない。しかし、それは誤解である。

確かに、観光地巡りをするから歩くことが多いのは間違いない。山奥の寺を訪問してから隣県のゲストハウスに泊まるという修行のような移動を挟んだこともあるから、1日2万歩程度歩いたことは何度かあっただろう。

しかし哀しいかな、トレーニングは難しい。宿泊客のいるカプセルルームでフンフン唸りながら腕立て伏せをするほどハートは強くないし、スクワットの最中に隣の客と目が合うのはごめんである。また、汗だくでスクワットをするところを見られるのは嫌だ。

だから、運動不足になりがちである。

また、嫌な自分が出てくる

会社内での業務になり4週間、以前のような心境が復活してきた。腹の中に黒い、重い何かが存在するかのようなあれである。社内での業務で露見したのは、バイアスの影響を強く感じるということだ。たとえば、Slackや遠くの会話から聞こえる体育会系のような営業の雰囲気は、創造性を発揮する余地なくトップダウンで従わざるを得ない痛みを感じる。また、「あぁ、あの人はあの人を苦手としているんだなぁ」という微妙な機敏を呼吸を通して感じてしまう。気にならないほどの鈍感な性格であれば良かったのだが、あいにく敏感に悟ってしまう。

さて、問題なのは、おそらく業務に悪い影響が出るということだ。扁桃体が反応すれば頭が真っ白になり創造的な解決策は浮かばなくなるし、社内の空気を読むための頭の計算も必要になる。目の前のことに集中したいのに、余計な心配が足を引っ張るという状態だ。そう考えるとリモートの方が良いのかもしれない。

確かに、情報伝達の点でオンサイトで働くより劣るという見方もある。しかし、一個人として見た限りはそれほど苦にはならない印象だ。1、2個程度の細かい疑問はSlack上で解決できるし、0からキャッチアップする必要のある問題もZoom等で担当者を呼び出せば良い話だ。むしろ、余計な”息遣い”に気を遣わなくて済む分、オンラインのMTG時は明るく接しようとか、付加価値の高い仕事をしようなどの前向きな気持ちが沸く相乗効果があると感じている。

実際リモートで働いていた際は金額以上の価値を提供することを心掛けていた。これは自分の成長のひとつだと感じていたのだけど、今考えてみれば環境が変化しただけだった。結局、大人になれば性格なんて変わらない。遺伝子で大枠が決められ、環境に応じて反応しているだけだ。そう考えると、以前と同じ環境に戻れば、また以前の嫌な自分が出てくる。

緊張感と安心感の絶妙なポイントを探そう

当時、年間を通じて不満だったのは、人生を誰かのための仕事に最適化させてしまうことだ。平日の9時から18時までのリーマン生活で、業務の不安を解消するため朝のわずかな時間で読書をし、昼は効率的に仕事をし、夜は十分な睡眠を確保するために眠剤をばっちり決めて就寝する。こんな生活を続けてみれば、金曜日の夜には仕事で使ったディスプレイのことしか頭に描けなくなってしまう。仕事に最適化するほど極度に世界観が矮小化して怖さと息苦しさが出てくる。一方、「こんなものは俺の人生じゃねぇ」と悪態をついて夜ふかしをすれば、翌日の仕事は惨憺たるものになる。僕らは社会的な動物だから、無能なレッテルを貼られると途端に居心地が悪くなる。結局バランスが大事なのだが、最も望ましいバランス感覚というものは未だに見つけられていない。

都内で働いていた時に感じていたのは、徐々に心が死んでいくということだった。同じ通勤経路を通り、会社で同じメンバーと顔を合わせ、イオンで独学をして1日が終わる。ローテーションのような日々は自分が生きているのか死んでいるのかわからなかった。

一方、海外で、特にチェンマイやソウルで放浪生活を送ったときに思ったのは、心から安心感を欲するということだ。慣れない言葉や食事、コンビニ店員の雑な態度、荒々しい運転、日本人である自分がアウェイである感覚。何もかも新鮮なのだが、常に刺激的な環境はまるで延々とジェットコースターに乗っているかのようで非常に疲れる。だから、あれだけ忌避してたはずの安心・安全を求め始める自分がいて面白かった。

以上の経験から理解したのは、充実した楽しい人生を送るためには、カオスと安全のちょうどいい塩梅の場所を見つけるべきだということだ。無菌の動物園のような東京では刺激を求めるだろうし、野生の極みのような一部東南アジアの国では安全の確保に時間を使うだろう。

アウトプットと緊張感

そういう点では、国内のゲストハウスを転々としつつリモートで働くというのは理想に近くて、異国のゲストが滞在するパブリックな緊張感を味わいつつ、綺麗な設備を利用できるという双方の利点を享受できる。

たとえば、以前東京の西新井のゲストハウスのベッドでゴロゴロしていた際、カーテン越しに唐突に話しかけて来たオランダ人がいた。英語は得意じゃないからあたふたしつつ喋った訳で、あまり居心地の良いものとはいえない。しかし、日本人同士なら絶対にあり得ないこのようなイベントが時々起こるという魅力がある。「あれ、なんか優しいな」とか「オープンマインドって大事だな」とか見えなかったものが突如可視化されてしまうので楽しい。

また、Airbnbをはじめとする民泊への規制、2020年に開催されるはずだった東京五輪、盤石な上下水道のインフラという国内の状況により質の良いゲストハウスを利用できたというのも大きい。ドミトリーではなくカプセルタイプのベッドは当たり前で、コワーキングスペースや大浴場、朝食など何かしらのオプションが付く場合がほとんどだった。これで1,300-2,000円程度で宿泊できるヤバみがある。

2019年5月からこの生活を続けたが、人生で最も刺激的で楽しい1年間だったのは間違いない!!今はアパートの賃貸生活に戻ってしまったが、条件が揃い次第また放浪生活を再開するつもりである。

余裕のあるときに悪い選択肢を選ぶ

自分はこの1年で急成長を遂げたんじゃないかと思っていた。「自分は商品であり、金銭的な報酬以上の価値を提供しよう」とか「周りを惑わせないように自分の発言に責任を持とう」などの気持ちが芽生えてきたからだ。

だが断言できる。成長なんてものはしない。経験から得られるのは知識だけだ。同じ環境が与えられれば、同じ失敗を繰り返す。重要なのは今より良い環境に身を置くこと、そして今より良い環境を見つけることである。

問題は良い環境を見つけるためには何かとコストがかかるということだ。

おそらく誰もが今より良い環境を望んでいる。だが、次の環境を見つけるにはアップサイドが得られるか、ダウンサイドのリスクはどの程度かという調査が必要になるし、環境を試すにはお金が必要であることがほとんどだ。

また、そもそも次の環境が良いかどうかわからないという問題もある。キャリアに繋がると信じたスタートアップで見事に死んだように、転じた先が落とし穴である可能性は否定できない。

となれば現状維持は悪い選択肢ではない気もするが、加齢で肉体的に衰えることや、技術革新でマクロな状況が少しずつ変化していくことを前提とすれば、むしろ右肩下がりの選択肢に思える。

おそらく重要なのは、自分が持つ資源の数%分を毎日賭けることだ。一文無しになるギャンブラーのように確実に勝てるかどうかわからない選択肢に人生の全てを賭けるのは間違いだし、何もしなければ衰退の道が待っている。

また、良い選択肢を見つけるために、時には悪い方向に転がることも重要に思える。2年前に向かったリゾートバイトは、編集者・マーケターとして積み重ねたキャリアに中指を立てるようなものだったが、結果的にはWEB系のエンジニアを目指すきっかけになった。

今よりも良い場所、良い環境を目指すことを考える際、線形的な成長曲線を思い浮かべがちだが、単純な右肩上がりを前提とすると限られた選択肢しか取れない。時にはあえて悪い選択肢を取り、異なる視点で俯瞰するのはひとつのテクニックだと思う。

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元公務員。「ゆるく生きたい…!」「夢がありそう…!」と希望を持って地方から上京したものの、東京の荒波に晒され地獄感を味わう。過労とストレスで体を壊すぐらいなら冷蔵庫を壊そう。