南アフリカ出身、アメリカで活躍するコメディアン「トレバー・ノア」の自伝。アパルトヘイト下の1984年、南アフリカのコサ族出身の黒人の母とスイス人の白人の父の間に生まれる。構成は主に、トレバー・ノアと母(そしてときどき父)との関係を描く前半部と、彼自身の学生時代の友人関係を描いた後半部に分かれる。
「母さん」に焦点を充てる前半部、トレバーの学生時代を追う後半部
前半は、トレバー・ノアと母の関係を深堀りする章だ。いや、むしろ「母さんの頑固で破天荒なエピソード」に焦点を充てているので、もっぱら母が主人公といっても過言ではない。
- アパルトヘイト下で混血児を生んだこと(「生まれたことが犯罪」という題は、アパルトヘイトでは異なる人種間で性的接触を持つこと自体が犯罪行為だったから。南アフリカの混血は、白人でも黒人でもなく「カラード」と分類された)。
- 女性は工場かメイドの選択肢しかなかった時代、秘書養成講座のタイピングのクラスを受講して秘書になった。
- 22歳のころに家出し、ヨハネスブルグの街なかで暮らすようになったこと。
- トレバーのことをいつも大人扱いして接したこと。ただの母と子の関係ではなく、チームとしての関係を築こうとしたこと。
いろいろと質問されるのだ。「この一節の意味は?トレバーにとってはどういう意味になる?自分の身に当てはめたらどうなる?」と、毎日がこんな調子だった。かあさんは学校では教わらないこと、考えるとはどういうことかを教えてくれたのだ。
後半部は、主にトレバーの学生時代を掘り下げる章だ。継父の車を盗んだことで留置場に入れられる話や海賊版のCDを売る話が出てきてややぶっ飛んでいるが、母と疎遠になる、継父の虐待が語られるなどやや重い内容になる。
笑ってはいけない。しかし、笑える。
ひとまず構成面はここまで!しかし、構成を眺めても興味は湧かないかもしれない。「人種隔離政策が敷かれたアパルトヘイト政策下の南アフリカ」というイマイチ想像できない世界の出来事だからだ。
それでも、思わず笑ってしまう痛快なエピソードが随所に散りばめられているからラフに読み進められる。たとえば、家の新聞紙の上にう○こをしたことがきっかけで、うん○を巡って近所の人を巻き込む大騒動となる話がある。
通勤経路で読んでいたのだけど、静寂と白々しい目線が支配する東武東上線の中で「ぷっぷっぷ…」と声が出てしまった(ちなみに、芸人の有吉がシコティッシュを燃やした話を同じようなタイミングで聞いて思わずシンクロした)。
笑える。しかし、冷静である。
でも、実は笑いだけが魅力じゃない。ましてや、「『人生は不公正』なんて愚痴を吹き飛ばす涙と笑いの痛快な自伝」から連想される自己啓発書の類でもない。自伝以上の何かに昇華させているのは、周囲の社会・人間の状況を言葉にできているからだ。
たとえば、アイススケート場に、ドライブインシアターに、高級住宅地巡りをする母とトレバーは頭がおかしいと思われていたそうだ。そのような状況をこう見ている。
アパルトヘイトの論理を自分の中に取り込んでしまっている黒人が本当に多かった。近所の人や親戚はかあさんによく口うるさく言っていた。「黒人の子に白人のすることを教えてなんになるの。この子は一生ここにいるのに。世の中を見せたってどうにもならないよ」
また、飼っていた愛犬が、昼間の間に勝手によその家に行って飼われたことを知ったときは、「相手は自分の所有物ではない」ことを理解する。
僕の犬だと思っていたけど、もちろんそうじゃなかった。フフィも僕も、誰のものでもないのだ。僕たちは仲良しで、フフィはたまたまうちで暮らすことになった。それだけだ。この経験は、その後の人生における、親密な関係についての僕の考え方を形づくった。自分がどんなに大切に思っていても、相手は自分の所有物ではない、ということだ。
本を見てどう思ったか?
アパルトヘイト下、もしくは徐々に崩壊したアパルトヘイト下の南アフリカという背景は正直実感が湧かない。しかし、黒人でも白人でもなく、時にはランチの売人として、時にはDJとして環境に適応する様は生き残りそのものに思える。
ヤクの売人みたいなものだ。ただし、届けるのはランチだけど。ヤクの売人は、パーティーではいつだって歓迎される。仲間内の人間じゃないけど、提供しているもののおかげで、一時的に仲間に入れてもらえるのだ。それが僕だった。いつだってアウトサイダーだった。アウトサイダーとして、殻に閉じこもったり、匿名でいたり、目立たない存在でいたりすることはできる。だけど、その反対も可能だ。自分から打ち解けることで、身を守るのだ。
最近は5W1HでいうWhyとHowのバランスを考えることがよくある。
まず、Whyは5W1Hの中の唯一の上位概念で、「なぜ」を考えればより抽象的な方向に話を進めて選択策を絞れる(例:お腹が痛い→なぜ→選択肢①:昨日食べた生の鶏肉のせいだ or 選択肢②:お腹が空いたからだ)。
次に、HowはWhyに対する解決策を提供する(もし、選択肢①なら薬、選択肢②なら食事になる)。今まではWhy偏重で考えてたけど、Whyだけ考えていても仕事にならない。むしろ、HowはスキルになるしHowは思考を深められるんじゃないかって思い始めてた。この本は一歩進んでいて、方法だけじゃなく道具も与えるべきだと言っている。確かに、道具がなければ始められない。
「魚を与えれば1日で食べてしまうけど、釣りを教えれば一生食べていける」とはよく言われる。だけど「釣りざおも与えたらいいんじゃないか」とまで言う人はいない。
トレバーは混血児で、黒人でも白人でもない。しかし、コミュニティから一定の距離感を保つことが出来るから選択肢を持てるし、皮肉だって言える(と思う)。
僕はあの世界で生きていくことを選んだつもりだった。でもあの世界の人間じゃなかった。それどころか、身分をかたっていた。ほかのみんなと同じように毎日フッドにいたけど、みんなと僕が決定的に違うことに、心の底では気づいていた。僕にはほかにもいろいろと選択肢があった。僕は出ていけた。でも、みんなは出ていけなかったのだ。
今後どう活かすか?前向きさは生きるヒントになる(安直)
どう活かすかと言われても、住む環境は異なるので再現性は乏しい。ただ、難しい状況に置かれていたとしても、反骨精神があれば自分の限界を拡張することはできるかもしれない。「現実がどうなるかはあなたの考え次第」というのは安直すぎて嫌いだけど、折れないための処方箋にはなるかもしれない。面白かったので★★★★★
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