この間、友人にブログが見たいと言われたので、URLを送ったのだけど辛辣な評価が帰って来たことがあった。文章を書くのはそれなりに得意な方じゃないかなと思っていたので、厳しい意見にたじろいでしまった。今回はその振り返り。
友人にLINEを送る
僕には仲のいい友人がいる。高校時代からの仲で、今でもLINEを使用してやり取りをしている。
つい先日、彼がブログを見たがっていたのでURLを送ってあげた。
そして後日、ブログを読み始めたという連絡が来たので、
「どうやろ」
と鼻をほじりながら読書をする時ぐらい適当に聞いたつもりだったのだけど、想像以上に辛辣な答えが返って来てしまった。僕の文章に対して色々といちゃもんを付けられたのだけど、その内容を大別すると大体以下のようになる。
①言いたいことがまとまっていない
②内容が薄い
③根拠が主観
④接続詞が邪魔
それでは涙を流しながら振り返ってみることにしよう。
①言いたいことがまとまっていない
まず第一の指摘は、「言いたいことがまとまっていない」という指摘だ。実は僕自身も自覚していた節がある。特に、自身のメンタルに関することを書き連ねる際は、構成を決めずに見切り発車でタイピングしてしまう。メンタルに言及する際は精神的に参っていることが多く、書くことを利用してリアルタイムで鬱憤を晴らすことが目的だからだ。そのため、計画性が無くちぐはぐな展開になりやすい。
②内容が薄い
第二の指摘は、「内容が薄い」だ。①の内容とも関連するのだけど、内容にまとまりがなく同じことを何度も繰り返しているように感じるそうだ。ある程度オリジナルの内容を書きたいと思っていたので結構ショックである。
ちなみに「薄い」繋がりでいうと、こちらの「ハゲ」記事が好評だった。
この記事は正直クソ適当に書いたのだけど、周囲からの評判は上々である。案外どうしようもない記事ほど評価されることがあるのでわからないものである。
③根拠が主観
第三の指摘は、根拠が主観であることだ。主張はともかく、根拠はできる限り客観的なものでなければならない。しかし、僕は根拠”らしく”書かれている箇所が非常に主観的であるらしいのだ。だから、説得力がない。
④接続詞が邪魔
そして第四の指摘は、「接続詞が邪魔」であるということだ。接続詞とは、
つながっている2つの語句・文章の関係を示すもの
であり、たとえば、「だから」「しかし」「また」「そして」「なぜなら」などの言葉がそれにあたる。接続詞は、前の語句・文章と、後の語句・文章の関係を示すので、文章の構造を分かりやすく示すことができる。以前まで接続詞など意識したことがなかったのだけど、
「論理的に考えるためには、接続詞をマスターしないとダメじゃないかな」
という安易な思い込みからあえて意識して生活をするようになった。そしてそれはブログの文章も例外ではなくて、何かを書く際には余分に思えるほど使用するようにしていたのだ。
しかし、多用してしまったことで、逆に読みにくくなってしまったようだ。それに加え、①のように言いたいことがまとまっていないことも多々あったから、接続詞を使っている割に言っていることがよくわからないという現象も発生してしまったように思う。友人からは非常に不評であった。
おわりに
以上が友人からの指摘になる。厳しい意見ではあるが、自分の文章を見直す良いきっかけとなった。見出しをまとめるとよりわかりやすくなるという意見も頂戴したので、これから意識して記事を書いて行こうと思う。
ただ、色々と意見をもらった中で、
「文章下手くそだと良いこと思ってても伝わらないからな」
という意見はあまりにもスパイシーに心を刺さったので、もう少しマイルドにしてもいいのではないかと思った。正直な話、これほど辛いものは意図していなかったのだ。半生の玉葱にかじり付いたつもりであったのに、ふたを開けてみると生の玉葱だったようなものである。生玉葱の硫化アリルが涙を誘発したのは言うまでもないだろう。
おしまい。
コメントを残す